「話す」ということ?
「今、日本の教育に欠けていること!」
北海道新聞5月29日付けに「引きこもり40、50代増加」との大見出しの下に、「リストラ……再就職できず自信喪失」「悩み訴えよう」という小見出しで、大略次のような記事が掲載されている。
40代、50代を中心とした働き盛りの引きこもりが増えている。 リストラで職を失い、何度も就職試験に落ちるうちに自信を失っていくのが典型的な事例という。 こうしたひとたちの就職を手助けするため、道内の労働団体や、カウンセラリーで作る市民団体が29日、札幌で集会を開き、引きこもりの人や家族らから悩みを聞く。 (中略) 厚生労働省によると、2002年、道内の公的機関に寄せられた引きこもりの相談は813件。同会は、「相談は氷山の一角」という。 同会代表の南部正明さんは背景に「成果至上主義による労働環境の劣悪化などがある」と指摘。 40代、50代だけでなく、将来に夢を抱けないまま一度も職につけない20代が増えているという。 29日に開催されるのは「社会的ひきこもりの方々の就労支援策を考える当事者の集い」。当事者や家族から現状や課題、どんな支援が必要か−などについて発言を求め、解決策などを探るとともに、関係者の連携強化を目指す。 同会は、今後、行政機関に対し、引きこもりの人たちを対象とした支援の実施を働きかけるとともに、民間企業には短期就労の場を提供するよう協力を求める。 同会としても個別指導に応じる態勢も整える考えで、南部さんは、「引きこもりは劇的な好転は難しいが、じっくりかかわれば変化は必ず訪れる」と話している。 (後略)
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私は、多重債務者の相談が多い。
多重債務者になった人、多重債務者の配偶者、多重債務者の家族に、私が話すことは、次のようなことだ。
「あなた方の家族が、また、多重債務にならなようにするために、どうすればいいと思う。」
「借金をするなといいます」
「借金するな、というのは、全く、ナンセンス。意味がない」
「どうしてですか?」
「今の日本で、借金をしていない人がどれだけいると思う?」
「私は、借金なんかしていません」
「そう。じゃあ、車を買う時、ローンにしないで、現金で買う人がどの位いるかねえ?」
「そうですね。」
「家、買う時、現金そろえて買う人がいる?」
「家買う時は、ローンですね」
「でしょう。だから、誰でも借金するの。借金しなければ生けていけない時代なの!」
「そうですね」
「どういう借金を、どのようするか、それが問題なのよね」
「……」
「最初の質問だけど、多重債務にならないようにするために、どうすればいいと思う?」
「………」
「なんでも、相談する。大事なことだけではなく、なんでも相談する、それしかないのよね」
「はい」
「あなた方、なんでも相談している?」
「いいや、殆ど話し合いはしません」
「そうなのよね、日本は、『沈黙は金、雄弁は銀』と言われているの。無口がいいとされているのよね」
「そうですね」
「でも、違う。なんでも話す。せめて、家族の中では。親子で、夫婦で、なんでも話す。これが大事なの」
「はい。」
「そうすると、家族の一人が、こういう契約をしたいので、と相談された。契約書をもってきてね」
「はい。」
「契約書、読まないといけないよね」
「はい。」
「契約書、読んでもわからない。小さい字でいっぱい書いてあるから」
「ええ、そうなんですよね。」
「わからなかったらどうする?」
「そのまま、判押す」
「それじゃ、だめでしょう」
「はい、………、その店の人に聞きます」
「それは、一番だめ」
「なんでですか?」
「相手の人が、自分に不利なことをいいますか?」
「そうですね」
「どうする?」
「親に聞く」
「親にわかる?」
「わからないですね」
「自分で勉強する」
「勉強しても、すぐにはわからないよ」
「………」
「やっぱり専門家に聞くしかないんじゃないの?」
「はい」
「弁護士会でも無料法律相談やっている、市役所でも無料法律相談をやっている。消費者協会もある。司法書士さんも相談にのってくれる。あなた方は法律的な問題では素人なんだから、やっぱり専門家に聞いて、それから決めても遅くはない」
「そうですね」
「一回聞けば、だいたいわかる。同じような会社の契約書は、似たようなことが書いてある」
というような話を延々とする。
しかし、それでも、なかなか家族で話し合うということは、難しいらしい。
私が相談にのって多重債務の整理をやっている最中に、また、借金をする人がかなりいる。「その時、毎月一回は、話し合いをしているの?」と聞くと、話し合いをしていないという場合が多い。
この家族での「話し合い」という、金もいらず、簡単なことがなぜできないのだろうか。
それは、日本では、「話し合い」というようなことは、特に、家族での「話し合い」というようなことは、なんの訓練もなく、当然にできるものだと、考えているように思われる。
私は、ある国では、小学校一年生、二年生は、教科書なし、学校中の生徒と友達になれる、話ができるというのが授業の内容という国があると聞いたことがある。
人間として生きていく中で、「人間関係がうまくいく」というのが、もっとも大切だと思う。
人間関係がうまく行かないことによる悲劇は枚挙にいとまがない。
登校拒否、引きこもり、いじめ、虐待、未成年者による想像を絶する犯罪の原因には、家族との人間関係に問題があると指摘されることが多い。
人間関係がうまくいけば、いくらでも勉強ができるし、意欲的に社会に溶け込むこともできる。
日本の教育において、「話す」ということにもっともっと、重点がおかれる必要があると、私は思う。
このことは、小さいとき、小学校時代にこそ、力をいれるべきことであると、私は思う。