もうずいぶんと前の話になる。
初日は仙台まで。二日目は仙台から松島まで走り、そのあたりを探索するつもりだった。
半島の先端部分には広い駐車場と、何軒かのお土産屋さんがあって、
自分はその前に単車を止めた。
異様なものが店の前に突っ立った土産物屋からおじいさんが出てきて
「お茶飲んで行け」と言う。
狭い店の中にはパイプ椅子が二つ置いてあり、勧められるままその一つに座った。
さすがの自分も、何も買わずに帰るわけにいかなくなって、
店頭に並んでいた布海苔を2袋買うことにした。
店の前に突っ立った異様な物の横を通り過ぎながらじっくりとそれを見つめる。
実はそれからが大変だった。
そんなわけで宿にたどり着いたときはぐったりとしていたのだが、
国分町界隈をしばしさまよった末に、何となく気になる某居酒屋に入る。
一人で熱燗をちびちびやっていると、後ろの常連さんから声がかかった。
それからの自分はツーリングに出かける時、それを
ポケットに忍ばせるようになっていた。
布海苔2袋で手に入れたそれに、どこまで御利益があったのかはわからない。
そういえば、あれはどうしたかなぁ・・。
きっとどこかにあるはずだ。
そう思って、探してみたがどうしても見つからない。
いったい何処にしまい込んだのか・・・・。
東京でサラリーマンをしていたころだ。
有給休暇と土日を利用して仙台方面にソロツーリングをしたことがある。
でも、瑞巌寺を見学した後にふと思い立って、予定になかった牡鹿半島まで足をのばすことにした。
シーズンオフなのか駐車場には自分の他、数台の車が駐車するのみの
閑散とした状況だ。
自分はそのおじいさんに言われるまま
その店に入っていったのだった。
やがて店の奥からおじいさんがお茶を運んできて、そのお茶を飲みながら
ごくありふれた会話をする。
そのうちにおじいさんは、今朝貰ったアワビがあるから食べていけと言い出した。
「いえそんな、いいです」と断ったが、遠慮せずに食えと言い、
店の奥からアワビを一つ持ってきて、店の前にある水道のところで殻をむいて
おもむろにそれを差し出した。
そうまでされては、食べないわけにもいかず、それにかぶりつく。
旨かった・・・・。
するとおじいさんは、買ってくれたお礼にと、店の隅に置かれた段ボールを指さし、
良かったらその中から一つ選んで持って行けという。
その中には、何かを削った屑のような物がたくさん入っている。
聞くと、それは鯨のひげを加工するときに出た屑とのことだった。
それがお守りになるのだとおじいさんは言うのだ。
自分はお礼を言いながらその中から適当なかけらを一つ選んで、それを無造作にジーンズの
ポケットに押し込み、それからおじいさんに別れを告げてその店を出た。
おじいさんの話では、それは鯨のおちんちんなのだそうだ。
鯨というのはりっぱなものをお持ちのようだ・・・。
仙台市内に取った宿までの帰路は大雨の中の走行となったのだ。
予定になかった牡鹿半島まで足をのばしたために、帰りが遅くなり、
途中からは雨中の夜間走行になってしまった。
シールドについた水滴で、光が乱反射して前がよく見えず、
シールドを半分開けて、ひたすら前の車だけを見ながら走り続けたため、
標識を見落として塩竈のあたりで迷子になり、
それでも必死に道を探して、やっとの思いで仙台まで帰り着いたのだった。
旅のもう一つの重要な目的である夜の国分町(東北一の夜の街)探索を、
中止するわけには行かない。
自分は気持ちを奮い立たせて宿を出て、雨も小降りになった夜の仙台に繰り出したのであった。
店の中はこじんまりとしているが、小綺麗であか抜けた感じである。
客は自分の他、どうやら常連さんらしい人たち5〜6人の団体が一組だけだった。
自分は彼らに背を向けてカウンターにすわり、熱燗とそれからつまみを
2品ほど注文した。
「おにいさん、バイクできたの?」
「はい、そうです。」
自分はライダーブーツを履いていたので、それと気づいたのだろう。
「どこからきたの?」
「東京です。」
「そうかい、ここには本を見てきたのかい?」
どうやらこの店は本で紹介されるような店らしい。
「いいえ、ただ何となく入りました。」
自分がそう答えると、
「マスター!こういうお客さんを大事にしなきゃだめだよ!」
常連さんはそう言って、自分のために熱燗を注文してくれて、
「これはおごりだからゆっくり飲んで行きなさい。」
そう言ってくれた。
思わぬ展開にビックリしながらも、なんだか人の温かみに触れた思いで、
自分の心の中がほんわりと暖かくなったような気がしていた。
思い出したように時々後ろから声をかけてくれる常連さんと話をしながら、
ほろ酔い気分になった自分は、ジーンズのポケットに入っていたあの鯨のひげのかけらを
ひっぱりだして、眺めていた。
「ひょっとするとこれの御利益かもしれない。」
そんなことを考えていたのだ。
別に誰かにおごって貰うためではなくて、お守りとしてである。
それが引っ越しの時にどこかにしまい込んだままになって、
とうとう何処にいったのか、わからなくなってしまった。
ひょっとしたら、あの店での熱燗一本で効力を無くしていたかもしれない。
でも、数々のツーリングをこなし、今もこうして無事で生きていられるのは、
それが今でも、どれかの箱の片隅でその効力を発揮し続けているから
かもしれない。
そうであって欲しいなどと都合のいいことを考えている・・・。そんな自分なのだ。