長い階段を滑るように2段飛ばしで駆け上がっていく。
 喉はすでにカラカラだった。
早鐘のように打ち続ける心臓の鼓動に必死に耐えつつ、彼は道を急ぐ。
 何だかとんでもない事が起きそうな予感が頭を過ぎった。

(頼むから間に合って!)

 止めなければならない、どうしても。誰かが酷く傷ついてしまうまでに。
気合で無理矢理出力を上げる。
前髪が強い風に舞い、目も開けられなくなる。

「…くっ!」

 固体として一瞬意識した空気を、固めて身に纏う。
見えない風の鎧に守られた彼は弾丸のようにスピードを上げた。


「その前に…一つ質問してもいいですか?」

 大太刀を片手に下げた銀髪の男の前に進み出たのは、少女のような顔立ちをした少年だった。
 フェイの薔薇色の唇が、穏やかに言葉を紡ぐ。

「この戦いはいったい何のためなんです?
フェンリル…ですよね?たしか…。
本気の仕事しか受けないような貴方がこんなゲームみたいな…」

 その言葉にフェンリルは小さく苦笑いを浮かべた。

「どうやらあんたは俺の噂を聞いた事があるらしいな。
だったら話は早い。
…俺にとってこれは「仕事」だ。
どんなにくだらなく、甘っちょろいゲームだろうと仕事は仕事。
そう、教わっただろう? 菊一文字」

「…その考えにはうなずけますね。
あくまでも職務と割り切る事。それがガーディアンとしての使命。
マスターがいつもそう言っていましたから」

 いきなり話を振られた事に戸惑いながらも、菊一文字はさらりと答えた。

「そして…今果たさなければならない職務は貴方の排除。
私は、ガーディアンですから!」

 言葉と同時に、菊一文字は腰のサーベルを抜き放った。
電磁波を纏ったその刃をフェンリルめがけて振り下ろす。
 避けようともせずフェンリルは、チタンの手首を受け止め、強く握った。

「心意気だけは合格点だな。
だが…、量産型流用のそのちゃちな仮機体でこの俺に勝てるか!?」

 一歩踏み込み、フェンリルは手首を翻した。
2メートルの巨体が軽々と宙を舞い、階段を転げ落ちる。

「菊一文字っ!?」

 駆け寄ったリッキーに問題無いと手を振り、電脳騎士は何とか身を起こす。
 白い髪の少年は拳に光を集め出す。

「貴様はこれでも食らっていろ…!」

 左手で銃を抜くと同時に放たれた弾丸を、少年は光るその手のひらで受け止める。
 指先で簡単につぶれるその弾丸に、彼は小さく舌打ちした。

「こんなふざけたモン使いやがって・・・
手加減のつもりか?それとも、プリシアみたいに”遊び”でもしてるつもりか?」

 受け止めた樹脂弾を床に叩き付け、少年はキッとフェンリルを睨み付けた。

「・・・・やるなら命、賭けてみろ!!!」
「…悪いな、俺の命は取っておかなければならない理由があるんだ。
こんなところに賭けてなどいられないな」

 フェンリルの答えに、逆上したかのように少年の周りの光が一段と輝きを増す。
真紅の瞳で涼しげな顔の銀髪の男を睨み付けると、少年は心の中で小さく手加減しない事を誓った。

「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

ブォァッ!!!!!

  叫びと同時に、光は爆発的に膨れ上がり、身の丈以上の剣の姿へと凝縮する。
その衝撃と威力に耐え切れず、腕から肩にかけて無数の裂傷が鮮血を散らした。
 少年は大きくその剣を振り上げる。

ドガシャァァァッ!!!

 天井を粉砕しつつ光の剣はフェンリルに向かって伸びる。
 スプリンクラーの水道管が破損したのか、一気に大量の水が吹き出した。
 跳躍し、ぎりぎりで避けようとするフェンリルの目の前で、光の剣は大きな顎を開き、食らいついてきた。

「何ぃっ!?」

 寸前でその剣の側面を左手で払い、フェンリルは床を転がって避ける。
 ジュッと肉の焦げる匂いがした。
左腕の皮膚が焼け落ち、骨が露出する…いや、それは金属で出来た骨格だった。

「サイボーグなのかっ!?」

 菊一文字のひしゃげてしまった肩部装甲を取り外そうとしていたリッキーは、フェンリルの腕に気が付き驚愕の声を上げた。
 あれだけの超人的な身体能力もそれならばなっとくがいく。

「…伸びろぉ!」

 叫びとともに光の剣はそのまま二つに分かれ、鞭のようにしなるとフェンリルを執拗に追い回す。
 ぎりぎりまで引きつけておいてフェンリルはそれを躱す。
 伸び切った光が、内壁を粉砕しつつ突き刺さる。

 ポチョッと隅の方の床で小さく水が撥ねた。
フェンリルは目を閉じると、何も無い空中へと傷ついた左手を突き出す。

ザクッ………。

 次の瞬間、見えたものは飛び掛かった姿のままその場に硬直したキタの姿だった。
 背中から生えた鋭い氷の結晶は、フェンリルの左腕から伸び、肩口を貫いたものだった。

「くる方向とタイミングさえ分かればあんたは恐くない」

 そう言い放つと同時に、腹を蹴り飛ばして腕を抜く。
一緒に砕けた氷の破片が辺りに降り注いだ。


「…あら?」

 セキュリティシステムを確認していた村雨は、その異常な数値に気が付いた。

「……気圧の変化?…まずいかもしれないわ」

 ちょっと考えて、村雨は決断した。

「SAY姉様! 手伝ってくださいまし!
奪われた管制システムに逆Hackをかけるんですの!」
 


 階段を駆け上がった菊一文字は素早く空中に呪紋を描いた。
倒れたキタを包むようにやわらかな光が吹き上がる。

「…止血くらいしか今は出来そうに無いですね」

 眼前に迫ったフェンリルを見据えて、苦々しく菊一文字は言った。
 壁の方に一旦収束した光は、無数のレーザーのようにフェンリルに向かって降り注ぐ。
素早くフェンリルは、菊一文字の背後を取ると、レーザーに晒すように後方から蹴飛ばした。

「ちょっ…ニィ! 何やってんのさっ!?」

 フェイの制止の声も耳に入らず、少年の操る光はチタン製の装甲板を貫いていく。
 フェンリルは焦げて骨格の露出した左腕を振り上げた。
同時に天井の水道管から吹き出し、床に溜まっていた水が吹き上がり氷結する。

「くっ…」

 光に貫かれ、氷は一瞬にして蒸散する。
相殺しきれなかった光が、肩や太股を貫いていく。
 はあはあと大きく肩で息をしながら、少年はただ、フェンリルだけを見据えていた。
 よろりとなんとか菊一文字は立ち上がる。
壊れたスプリンクラーから降り注ぐ水が、しゅうしゅうと装甲板の上で湯気を立てていた。
 フェンリルは地を蹴ると、振り向こうとしている菊一文字目掛けて大太刀を振り下ろした。
 背中の装甲板が簡単に粉砕される。
次の一撃が右の膝関節ジョイントを完全に変形させ、そのままはね上げた刀が頭部のバイザーを砕く。

[装甲板45%破損!歩行ユニット部動作不全!
バランサー、及びスタビライザー使用不可!
要整備状態!直ちに撤収せよ!]

 耳元で小さく警告音が鳴り出した。視界の隅に撤退を促す警告文が表示される。

「そう簡単に引くわけには行かないんですよ…」

 警告を無視して菊一文字は銃を抜いた。
度重なる衝撃でどこかが歪んだのか、うまく照準が合わせられない。
 牽制するようにフェンリルの足元に数発の弾を打ち込む。
ひらりとそれを避けたフェンリルは胸部装甲の継ぎ目に刀を突き立てる。

「あぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 悲痛な悲鳴とともに菊一文字は銃を乱射した。
頬を掠めた一発が、肉をえぐりとり、銀色の装甲板を露出させる。
 天井に数発が穴を開ける。
そのまま糸が切れるように銀の鎧を着た人形は、床に崩れた。


 「……これは…いったい………」

 ゲートが開いている…しかも大きな力を吹き出しながら。
こんな風に設計した覚えはない。そう、GrandMastarである彼女はそこから吹き出す強い風に愕然としていた。
精霊王クラスの風の精霊がこちらへ吹き出し、行き場を失いかけている。
 手に負えない。…機械に頼る以外に何も出来ない自分を呪った。
 ゲートを封鎖する事は出来る。だが、そうすれば完全にこの風は行き場を失い、荒れ狂うだろう。
ならば…!
 彼女は手元の携帯端末に数値を打ち込んだ。
短距離同時空のゲートならば簡単に開ける。
 空間に開いた穴に、彼女は飛び込んだ。


「…菊一文字っ!!?? 」

 完全に動かなくなった電脳騎士の姿に、リッキーは愕然とした。

「くそおおおぉぉ!!!」

 スパナを握って飛び掛かろうとする彼を、フェイが制止する。

「君に止められるわけがないだろっ!」
「けどっ、アイツが! 菊一文字が死んじまうっ!!」
「死ぬって… バカっ! たかがロボットじゃないか! いくらでも修理出来るってーのがわからねーのか?あぁ!?」

 リッキーに平手打ちして、フェイは震える右手をぎゅっと握った。
跳び出したいのは自分も一緒だった。
でも、役に立てないのも痛いほど分かっていたから。

 ゆっくりと菊一文字の胸から刀を抜き、フェンリルは白髪の少年の方に向き直った。

「どうした? すっかり息が上がってんじゃねーか…」

 何とか立っているという状態で、少年は近づいてくるフェンリルを睨み付けていた。
あの光は彼の生命力を具現したもの。おもった以上に体力の消耗が激しい。

「うるせぇぇぇっ!」

 気力を奮い立たせると、少年は腰だめに構えていた両手を一気に前に向かって突き出した。
気合とともに太く強い光が一気に放たれる。

「はぁぁっ!!!」

 フェンリルも傷ついた左手を突き出す。絡み付くように水が巻き上がり、手のひらの前でプリズム状に氷結する。
やや勢いは殺したものの、氷を完全に霧散させた光は左手を骨格ごと飴のようにぐにゃりと解かし、
プリズムに曲げられた数本もフェンリルの身体を貫いていく。
 大きく肩で息をしながら、少年は壁に背中を預けた。
もうそろそろ限界が近づいてきているらしい。

「…ニィ!」

 駆け寄ろうとしたフェイの足元をなにかがガシッとつかんだ。

「‥………クスクスクス………」

 白い羽毛が、風に舞うのが見えた。微かに笑い声が何処からか聞こえる。

「…ウフフ」

 呟くように微かに笑い声を上げていたのは倒れたはずのプリシアだった。
風が彼女を中心に渦巻いていく。

「……キャハハハハハハハハ……」
「…なっ!?」

 ただならぬ気配に、フェンリルは身構えた。
風はますます強くなり、立っていられなくなるほどになる。

「そこで突っ立ってるお前等! その男引っつかんで逃げろっ!
……来るぞっ!!」

 キタを指差してフェンリルは必死に怒鳴る。
慌ててリッキーはキタを階段まで引きずっていく。
荒れ狂う風はプリシアを巻き上げる。
 真っ白な翼を開き、彼女は無邪気な笑みを浮かべて言った。

「クスクスクスクス・・・・ ふっとんじゃえ!!

 全ての空気が凝縮したかのような爆風が彼らを吹き飛ばした。


「緊急事態だ!コントロールを戻せっ!」

 突然、空間に穴を開けて飛び込んできた女に、妖精は驚いた。

「いいからそのキーを廻すんだよ! ぐずぐずしてたらとり返しが付かんっ!」

 わたわたと慌てて、妖精は制御切り替えのキーを回した。
彼女は素早くインカムを身につけると、ディスプレイの向こうできょとんとしている村雨に向かって叫んだ。

「村雨! 管制システムは取り戻せたか!? 数値みりゃ分かるだろ?」
「えぇ、母様。 念のため修理工作車を4台、外壁からそちらに向かわせてますわ。
…暴れはじめてますわね…風使いの身体を媒体にして」
「それだけ把握できてれば上出来。データは鋭雪に転送してやれ」

 ぺこりと頭を下げて村雨はディスプレイから姿を消した。
文字だけの表示に切り替えたというのはそれだけ遊んでいる余裕が無いという事だろう。

「…狂える風霊王か……厄介だなこいつは…」

 つぶやくと彼女は、第2通信室へのゲートを開いた。
顔を突っ込むと、驚く彼らに素早く指示を出す。

「ハッカーの嬢ちゃんはそこから村雨のサポートを頼む! あんたらは…とにかくなんか役に立つかもしれないからこっちに来てくれ!」
 


硬質樹脂製の窓が吹き飛び、凄まじい勢いでそこから気圧の低い外へと空気が流れていく。

「止まれっ!!!」

 ギンッと空気が軋み、窓の辺りだけの気流が止まる。

「……ミチアキ?」

 振り向いたリッキーは親友の姿を見つける。
 ミチアキは窓を睨み付けたまま辛そうに歯を食いしばった。差し出していた片手をゆっくり手元に引き寄せる。
ゆっくりと窓をはめ込もうとするが、砕けた隙間から少しづつ空気が漏れている。

「あんまり…長くは持たないよ? 早くここ修理しないと!」

 待ち構えていたように外側からわらわらと蜘蛛型の工事用ロボットが集まってきて接着剤と充填剤を吹き付ける。

『…鋭雪! 聞いてるか!?』

 突然入った通信に、フェンリルは耳を傾ける。

「…つっ!? 花月てめぇ! 今まで何処に隠れてやがった!?」
『つれない事をいうなぁ…ほんとは嬉しいくせに…って、冗談はさて置き。
状況は把握してるだろ? 村雨が収集したデータを今転送する』

 フェンリルは、空中に浮いたままくすくすと笑っているプリシアを睨み付けた。
…彼女が呼んだ風。それが行き場を失い狂いはじめ…そして彼女の意志すら乗っ取った。

『ゲートをここで開け。やり方は分かってるだろ?そこへ風を流しきってやれば収まるはずだ』
「あぁ、切り替えていいんだろ? 全権委任モードにっ!」
『やむをえんさ。緊急事態だ、承認する』

 刀を床に突き立て、フェンリルは無事な右手で左耳のピアスに触れようとする。

「アハハッ!もっと遊ぼうよ♪」

 プリシアはなぎ払うように翼を振るった。強風が真空を伴ってフェンリルに叩き付ける。
胸元がサックリと裂け、鮮血が吹き出す。

「…くっ……これじゃ集中できねぇな……」

 さらに強くなる風の中、プリシアの笑い声だけが広いエレベーターホールに響いていた。



 


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