ひとりごと
お客様のお好みとご予算や合わせて、お料理の調整をしているのですが時たまお酒を召し上がって、特製のウニご飯を半分残される事があります。 そんなときは炭火で炙り「焼オニギリ」として夜食にとお作りするのですが、先日、いつものように「焼オニギリ」にしましょうかと尋ねると甚く感謝され、満席のテーブルで此れでもかと言わんばかりの声で褒められましたが、此方は勿体無いし、夜食には丁度良い量なので、毎回当然とお作りしているのですがお客様の言われるには「普通の旅館には無い、心がある、この気遣いを観ましたか」と他のお客様の同意を得るような言い方に当方「褒め殺しに遭っているような」錯覚に陥ってしまいました。 其の場に居合わせたお客様が口々に言われるには他の旅館では残ったご飯でオニギリを頼んでも嫌がられ、別料金を取られたり、忘れられたりとあまり良い思いをしなかったそうです。 同業者としては寂しい思いをさせられたり考えさせられる事でした。 当館では別料金も取りませんし、当たり前のことをしているだけなので、皆さんどうぞご遠慮なく。
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或る日、札幌からお客様がいらっしゃいました。 紹介してくださった方からはガンの治療中の方とお聞きしていましたが割とお元気なようで娘さんと一緒に、車で入らしたのです。お母さんを労わる様にせっせと荷物を運ぶ娘さんにお母さんもニコニコ笑顔がこぼれていました。 お食事も「旬のものと美味しい蟹を」とのご注文・・・夕食はご紹介頂いた方と三人で楽しく賑やかに過ごされ夜は更けていったのです。 朝食も終え、暫しのコーヒータイムの後チェックアウトされましたが暫くして娘さんが駆け込んできました。 館内の写真を撮るのを忘れたので撮りに来ましたという。 お好きなところをどうぞと言うとニコッと笑ってあちらこちらを写真に収めていきました。 見送りに出ると駐車場では女将とお母さんが立ち話の真っ最中で、なにやらワケアリ顔の二人、あれっと思いましたが元気に手を振り出発されて行かれました。 二人を乗せた車が見えなくなると、なにやら悲しげな女将の顔・・・聞くと、実はガンを患っているのは娘さんのほうで、余命半年の宣告を受け、手の施しようも無いとの事、札幌の病院で知り合った根室の方のご好意で、今回の旅を決断されたそうです。 車には何時でも横になって休めるようにベットの用意や食事の用意が成され、親子二人の旅も、これが最後と決心されて来たそうです。 あんなに元気に見えた娘さんがと目を疑いましたが・・・解からないものです。 一期一会という言葉を思い浮かべますが私達にとっては、とても重い言葉のように思えてなりません。
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尊敬する師との思い出
小学生の頃、初めてステーキなるものを食べた。 それも出前でだ、十歳の頃の話だからラーメンと一緒でステーキも出前で食べられるものなのだと喜んで食べた記憶がある。チボリと言うレストランが在った。 出前は此処から来たのだった。
初めて、そのお店に連れて行ってもらったことを今でも鮮明に覚えている。 白い壁に焦げ茶色の木の梁にカウンター、大きな木のスプーンにフォークが飾られ、黒いベストに蝶ネクタイ白いエプロンを締めたウェイターさんに赤いテーブルクロスを掛けた奥の席に通され、亡父と二人メニューをめくる。
カウンターの奥に目を向けると真っ白いコックコートにトック帽の料理長が見える。
レストラン チボリ 料理長 遠藤敏明氏との初めての出会いであった。
それから、何年か経ち、私も料理人の道へと足を踏み込んでいった。 当時、全日本司厨士協会根室支部の一員として、料理講習会へ連れて行ってもらったり、雪祭りでは氷の彫刻のお手伝いをさせて頂いた。 遠藤氏は氷彫刻も素晴らしい腕前で憧れの存在であり、私のような新参者には神様のような存在で輝いて見えた。
時は移り十三年後、地方から戻った私はお互いの再会を喜び、共に商売を精一杯頑張っていこうと励まされた事を覚えている。
その後、遠藤氏はレストランを移転し、新たに居酒屋風のレストランとして「ねむろっこチボリ」として新規開店された。
開店後しばらくして、お店を訪ねると、相変わらずの「にこやかな笑顔」で出迎えてくれた。カウンターで談笑するうち、私は一方的な批判や意見をぶつけカウンターを叩いての激論に変わったが腹を割った話が出来たのが良かったのかそれからは毎日仕事が終わったら来る様に言われ、私は毎日お店に通った。 こちらが遅くなったり、お店が早終いするとき等、よく「チボリの遠藤です、まだですか」と催促の電話がかかってきたものだった。 殆ど毎日話す事柄は新しいアイディアのこと、料理のこと経営について等、他愛も無いことから、旬の食材のことまで膨大な量の知識を分けて頂いた。
また、チボリさんの新年会にも、私は従業員でもないのに図々しくも参加する機会も与えられた。 氏は昔、歌手を目指しただけのことはあり、圧倒的な歌唱力と発声の素晴らしかったことを覚えている。
お店では遠藤氏の友人・知人を紹介され、私も友交の輪を広げることが出来、かけがえの無い財産を戴いた。 今も友好の輪は続き大切にさせて頂いている。
中小企業家同友会という会に入会することになったのも氏のお蔭であり、現在も貴重な経験をさせて頂いている。 素晴らしい会社を経営している社長さんが根室に講演に来るから一緒に行こうと誘われ「のこのこ」と出かけていったのだった・・・良い講演だったが帰り際、上の階で新年会をこれからおこなうのでどうぞと言う、断る私を半ば強制的にエレベーターに乗せる役員の皆さん・・・ナゼかニコニコしている遠藤氏・・・宴会場に着くと、そこにはなぜか私の席までセットされていて、何人かのご挨拶の後、飛び入りの私の番になり、此処に来て「やられた」の感あり・・・準備の良い事務局の方からは、会員証とご丁寧にも額入りの同友会三つの目的と書かれたものを手渡され見事ご入会と至った訳でした。 いやはや入会の経緯は別にしても、遠藤氏のお蔭で、この会に入会できた事により普段はできない経験や学ぶ事、全国の仲間と出会う機会を与えてくれたことに感謝しています。
私達の結婚では仲人を引受けて頂き、結婚披露宴では「歌う仲人」として「びっくり」させられたことも鮮明に覚えている。 新郎新婦の紹介と言うところで、何やら演歌が会場に流れ「あれっ」と思っているうちに突然の熱唱に暫し呆然とし、会場を沸かしたことも思い出します。 お蔭様で地方からきた方には根室の仲人は歌が巧くないと勤まらんのやネェなどと、真面目に聞かれたこともありました。
氏の一周忌が終わり、あんなことも、こんなことも遭ったなァと、ふと思い出してしまいます。
思わぬ病に倒れ、一年の闘病生活の後、帰らぬ人になってしまった事は私にとって、この上ない悲しみとなりました。
先日、遠藤婦人のご好意で当館を会場に親しい仲間達を囲んで「遠藤さんを偲ぶ会」を開いて戴きました。 料理人として、私は氏の下で働く機会はありませんでしたが皆で氏との思い出を口々に語り、氏を偲ぶことが出来ましたのは私にとっては幸いでした。
ホームページには少しばかり湿っぽい話ですが今の私に少なからず影響と感銘を与えてくださった、尊敬する師を思い記することにしまた。